こんばんは!
ミミとぼたんオーナー&こまめの飼い主です。
今回は前回のスポーツしか知らなかった私。~私の卓球人生スタート~ | ミミとぼたんの日常本音ブログの続きになります!
合宿がキッカケで中学2年生のとき、私は私立の強豪校へ転校しました。
その学校は伝統のある卓球強豪校で、試合会場でも独特のオーラを放つ存在でした。
そんな学校へ、実績もほとんどない私が入学したのです。
もちろん歓迎ムードではありませんでした。
転校初日、部室に入るなり先輩から約2時間の説教。
理由は今でもよく分かりません。
電車通学だったこともあり、帰宅があまりにも遅くなった私は、母が警察に連絡しようとするほど心配をかけてしまいました。
親の間でも先輩からの指導について先生に話すことは暗黙の了解で禁じられていました。
逃げ場はありませんでした。
それでも、「実業団選手になる」という夢のために、両親に高い学費を払ってもらって掴んだチャンスです。
簡単に諦めるわけにはいきませんでした。
何度も心が折れそうになりましたが、小さい頃から負けん気だけは強かったので、
「絶対に強くなる。」
その気持ちだけで、怖い先輩にも必死に食らいつき、練習を重ねました。
すると少しずつ部内リーグでも上位へ入れるようになり、先輩たちの態度も少しずつ変わっていきました。
そして私は、そのまま高校へ進学します。
エスカレーター式だったため環境は変わりませんでしたが、高校で大きな転機が訪れます。
監督が新しく代わったのです。
元々選手として活躍されていた先生だったこともあり、「どんな指導を受けられるんだろう」とワクワクしていました。
しかし、実際に始まった指導は想像をはるかに超えるものでした。
当時はまだ体罰への考え方も今ほど厳しくありませんでした。
ミスをすると前髪を切られたり、技術だけでなく人として未熟だと判断されれば厳しく叱られたり。
練習に参加させてもらえず、何時間もグラウンドを走ったり、草むしりをしていた日もあります。
周りの先生方が心配して様子を見に来るほどでした。
今では笑い話ですが、当時は精神的にもかなり追い込まれていたのだと思います。
学校の朝読書の時間には、なぜか孔子の教えが書かれた『論語』を読んでいたそうで、後になって副担任の先生から「あの頃は本当に大丈夫かと心配していた」と言われました。笑
毎日の恐怖、練習の疲れ、人間関係。
ストレスを抱えても吐き出す場所はなく、家では母に感情をぶつけてしまう毎日でした。
本当は一番味方でいてくれる人なのに、どうすることもできなかったのです。
母のつらそうな表情は、今でも忘れられません。
だからこそ、あの頃の自分の気持ちも、母の気持ちも忘れずにいたいと思っています。
それでも、その厳しい指導の中で少しずつ結果が出始めました。
高校3年生。
念願だったインターハイ個人戦に出場することができました。
あの時諦めなくてよかった。
両親にも少しは恩返しができたかなと思えました。
そして私は、さらに上を目指して関西の強豪大学へ進学します!
しかし、そこでもまた、ゼロからのスタートが待っていました。。。
続きは次回投稿でお話しします!


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